【アメリカ留学】我が身のキャパを知り、妥協を認めたメリーランド大学での新学期

今日は、本日は木曜日、今週最後の講義を控えている間サラダを食べながらブログを綴ろうとしているノエルです。

そう、木曜日。

編入先のメリーランド大学での初週があと数時間で終わりそうなところです。

ふう。

というのが正直な感想。

「ふう。」の中にも様々な意味があります。

今回のブログはなんでそう思っているのかをほぼ私の感想文として書きつつ、少しアメリカの大学のシステムについても説明したいと思います。

 

全校生徒37,000人のマンモス校、メリーランド大学カレッジパーク

37000人とは言いつつ、実際どれくらいな規模なのかは書いている本人も正直わかりません。

とりあえずデカイ。

最初の「ふう。」は規模の大きさに慣れる工程に自分を意図的に入れていることについてのものなのかなと。

アメリカ 大学 校舎

人数の多さは正直思ってたほど気にしていない自分がいます。

全校生徒は多いけど、みんな取ってる講義とかは全然違うので、よほど大きな一大イベントがない限りキャンパスが人で埋め尽くされることはありません。

しかし、朝の交通はかなり重い!

キャンパスの入り口から行きたい建物まで車だと20分かかりました、日中は1分で行けるところを…。

それにも繋がることだけれど、大学の規模が大きく思ったより大変だなと感じたのが実際のキャンパスの広さ。

州立大学の宿命かしら。

建物から建物までがとおぉーい。

テクテクテクテク…….

テクテクテクテク……スタタタタタタタ…….あ、間に合わない…….5分遅れてもセーフだよね…..。

ということが新学期始まって早々起きてしまいました。

でも、キャンパスの広さも徐々に慣れるのですごくストレスな訳ではありません。

何事も慣れですね。

…..と言いたいところだが…。

 

広いキャンパスに多岐にわたる講義

広く、広く、とにかく広く……….

と、同じ広いでも今回は勉強の分野について。

どの学部で何を学んでも全ては関係し合っているため、私はどれもある一定は理解してこなさなければいけない、と思う傾向にありました。

今学期もそう。

私は専攻を「制作芸術」に決めていてもなお5つ中2つのアートの単位以外は、エンジニアリング、テクノロジーとジャーナリズム、それから経済学の単位を選んでいました。

どの単位を取るかは2ヶ月前に決めていたため、当時私が捨て切れなかった「理系科目」を含めずにはいられなかったのです。

アメリカ 大学 校舎

アメリカ 大学 校舎

アメリカ 大学 校舎

そして新しい学期が始まりました。

学部が異なる講義ばかり取っていたため、もちろん全て建物が違います。

そしてここで問題になるひろーいキャンパス。

ジャーナリズムの講義が終わってから15分の間に次の経済学の講義に辿り着かなければなりません。

建物同士が1キロほど離れているためダッシュ。ぴったしには着きたくないので。

結果間に合いましたが、心の余裕はあまりないです。

そして、経済学の講義の後に待っていたのがエンジニアリングの講義。

この講義も無事終わりましたが、その日の終わりには体力的にはもちろん疲れていたのですが、心もなぜかもやもやもや….。

その日はもやもやの正体が分からなかったけれど、次の日には正体を暴くことができました。

取り敢えず、「ふう。」

アメリカ 大学 校舎

アメリカ 大学 校舎

アメリカ 大学 校舎

アメリカ 大学 校舎

 

勉強面の妥協点を知る

「学校」というのと、「新しい環境」が特に嫌いでもないわたし。

しかし新しい大学での生活を好きになれない、というよりか日に日に嫌いになっていく感覚がしていました。

通学かな?キャンパスかな?それともなにがこんなにもストレスなのだろうか?と考えるが、なかなかピンとこない。

そうしたらふと、「講義を変えてみよう」という思いつきが舞い降りたので、2つのアートと、とても気に入ったジャーナリズムの講義は残して、後の経済学とエンジニアリングの講義をアートセオリーとアメリカに残る白人優越主義についての講義を取りました。

 

とここでアメリカの大学の仕組みについてちょっと豆知識を。

私が単位を変えたのは「アド&ドロップ(add & drop: 単位を加えたり落としたりすること)」が許されているからです。

学期始めの2週間(学校によって違うかもしれないのでご注意を〜)は、成績に影響することなく好き勝手に取りたいクラスを選べます。

完璧なスケジュールだと思っていても実際キャンパスに行って受けてみて、授業の内容や教授を見て感じないと分からないのです。

そして、この2週間が終わってしまうと次は「ウィズドロー」が待っています。

中間試験のすぐ後くらい。

「あ、やべ。このままじゃ単位落としてしまう。」と思った人が「ウィズドロー」します。

仮にこの人を斎藤さんとしましょう。

斎藤さんは中間試験の結果や、それまでの成績を見て救いようがないと悟りました。

「F(フェール、つまり単位を落としちゃった。)」が最終的についてしまえば、それを含めて成績が計算されるので、全体のGPAにも影響してしまいます。

ところがどっこい、斎藤さんはあの「ウィズドロー」という必殺技を使ったので成績書には「W」が付きましたが、全体の成績を下げることを阻止することができたのです。

※ここで気をつけて欲しいのが「W」の場合単位はもらえません。全体の成績に影響しないよ、ということです。なので無理と思ったら早めにドロップしておいたほうがいいですよ。

と、いうのが「アドドロップ」と「ウィズドロー」の簡単な説明でしたとさ。

 

ここからは斎藤さんから大西さん(わたし)のお話を。

クラスを2つ変えたところでしたっけ。

経済学とエンジニアリングをドロップしたんです。そしてアートセオリーとアメリカの人種問題についてのクラスをアドしました。

そうしたら面白いことに、変えた瞬間に気持ちがとてもすっきりしました。

そして、その瞬間に学校に行くことも楽しみになっていました。

これでアート系の講義が3つでとってもワクワク。

この時、「ああ、学ぶ分野が違っていたことで頭の中がマルチタスク状態になっていたんだな」と腑に落ちた。

分野が四方八方に広がりすぎて、1日を終える頃には頭の中が「ふう。」となっていたのか。

アメリカ 大学 校舎

アメリカ 大学 校舎

アメリカ 大学 校舎

しかも今の私は「アート」という一番没頭したいものがあるのに他の講義にもっと時間と努力を費やしていて、自分で自分のやりたいことをできないようにしていた。

「全部できるように」

じゃなくて、

「少ないものを極める」

現在の私はこうする時なんだと心と体で感じた瞬間でした。

狭く集中することは決して何かを失っているのではなく、(今現時点で)むしろ私を成長させるものだと人生で初めてと言ってもいいくらい知りました。

 

終わりに

高校がどちらかというとリベラルアーツ寄り、そして大学生活の前半2年間は一般教養科目を多く取らなければいけないことから、「絞る」ということがあまり頭になかった私。

今回メリーランド大学という決して楽に単位を取れない大学に通い始めて、初めて「必要なものを犠牲にしない限界」を知ったのと、それを認めることをできる自分がいる、という収穫を得ることができました。

アメリカ 大学 校舎

このように発見することができたのは、全ては自分のためにやっていることだとわかったからだと思います。

今まで何かと頭の中で空想理論劇を繰り広げていた私にとって、この考えが身についたのはとってもうれしいこと!

さあ次は何が待っているのかなあ。

ノエル

日本の教育は間違ってる…?日本教育とアメリカ教育を経験した現役大学生が考える留学をするメリット

以前からよく考えていたことなのですが、最近はっきりと言葉に表せられるところまで到達したので私なりの言葉でこのテーマについて触れてみようかと思います。


私は何事もどちらが「良い」「悪い」、と二極化して考えるのは思考する過程においての「ガン細胞」的存在だと認識しています。


一つ、または二つ三つだけ理由を見つけて「だからこれはこうなんだ!」と結論を出す癖がついてしまっては、考えることからますます遠ざかります。


すぐに結論を出してしまえば、そりゃ楽ですよ。


考えなくて良いんだから。


「自分は」何が良くて悪いのかの結論を導く前に、考えるのは努力が必要だし忍耐も必要だし辛いからといって思考の工程を飛ばしてしまう。


「結論」といって本当は頭にポンと浮かんだことを考えた産物として提示する。


私がこのような単発な結論を意見として堂々と述べるのを多く見かけるのは、海外と日本を比べる時。


そんな時、気づいたのが(※日本人の中での話)親日と反日の境目がはっきりしていたこと。


わかりやすく言うと、


「やっぱり日本が良い!」「ずっと日本にいたい」


「日本嫌い!」「日本になんか住めない!外国が良い」


の壁が意外に厚いものだったということ。


そのように考える中、現在大学生として教育を受けているため特に気になったのが日本人留学生に多い、


「アンチ日本教育」


な考え方。


今回はそれについての私の考察を述べたいと思います。


新しい視点を少しでも提供できたら私の目標達成です。





日本の教育は間違っている


留学する理由がたくさんある中でも割と多数派なのでは、と個人的に思っているのが、


「日本の教育が悪いから外国の良い教育を受けたい」


といった、アンチ日本教育な考え方です。


私もこう考えていた時がありました。


では現在はどうなのかというと、合っているけど間違ってもいる、と考えています。


ここでは、日本とアメリカの教育を比較するとしましょう。


日本の教育の方が良い/悪い、アメリカの教育の方が良い/悪い


と、きっぱり二択になってしまっていることに違和感を感じたのです。


このような答えにたどり着いたのは、もちろん経験あってのことです。


渡米前は日本の教育方針、つまり、





● 詰め込み・暗記集中型
● 厳しい先生
● 重い試験が多い
● 塾に通っていないと周りに遅れやすい
● 何のために存在してるのかが分からないような校則に従う

● 高校時に理系・文系を決める

● 一年に一度しかない大学受験





と、日本にいた時はステレオタイプチックな事ばかりですが、上記に示した通りの事に嫌気が指していました。


アメリカに行ったら本当に楽しく勉強が出来ると信じていました。





渡米したからこその発見


しかしですね、意外にそんなことも無かったんです。


大学前に暗記をしておいた分、頭の中で情報を処理する時間を設けられたので、いざ大学で飛躍した概念を扱う時に簡単に情報を引き出したり繋げられるようになっていました。


日本だと定期試験が高校でも重かったので、早め早めに準備をしておく癖がついていました。





一方、アメリカの大学生を観察してみると、たくさんの生徒が初歩中の初歩レベルの数学につまづいたり、本当に少ない情報量を暗記するのに苦労していたり、ただ単に勉強に集中する能力に欠けている事に気がつきました。


知識がまだ身についていないからそれ以上話を飛躍させられないことも例外ではありませんでした。


しかしながら、アメリカの教育でも良いところはたくさんあります。


● 高得点を取らなければ価値がないと思う人が少ない分プレッシャーをあまり感じないから伸び伸びと勉強が出来る。
● メジャーをいつでも変えられる・変えやすい
● 誰でも理系・文系多岐にわたって勉強できる
● 教授はいつでも親身になって相談に乗ってくれる
● 失敗を許してくれる文化、最初からできなくても良い
など、たくさんあります。


日本教育もアメリカ教育も良いところがたくさんあるじゃないか!


日本教育とアメリカ教育の「良い所取り」をすれば良いじゃないか

ここではたと気づいた。


どっちが良い・悪いと考えるんじゃなくて、どっちもの教育のいいとこ取りをすればいいのか。


完璧な教育は存在しない。けれどベストな形にはいくらでもできる。


留学ってそれができるとてもいい機会だと思うんです。


しかしここでアンチ日本教育になりすぎてしまうと、せっかくの日本の良いところが生かされなくなってしまう。


0か100か、また白か黒みたいに極端になるのではなく、どちらの局面も含めたグレーゾーンを探してみる。


留学の素晴らしさは、経験を広げることができるぶんその中から良い所をたくさん抽出できるのです、意識していればの話ですけど。





まとめ

今回の投稿は、

「留学したいけど何のためにするんだろう?」
「日本の教育ってほんとダメ」


と考えている人たちのために向けたメッセージです。


私自身が日本とアメリカの両方の学校に行ったからこそ導き出した答えは、どちらかにきっちにカテゴリー化するのではなく、全体を見渡して何が「本質的に」良いのか悪いのかを判断してください。


留学を、ただ英語を上達させるための手段としてだけ考えるのも良いですが、もっと視点を変えればさらに有益な産物になりますよ!