【アメリカ留学】我が身のキャパを知り、妥協を認めたメリーランド大学での新学期

今日は、本日は木曜日、今週最後の講義を控えている間サラダを食べながらブログを綴ろうとしているノエルです。

そう、木曜日。

編入先のメリーランド大学での初週があと数時間で終わりそうなところです。

ふう。

というのが正直な感想。

「ふう。」の中にも様々な意味があります。

今回のブログはなんでそう思っているのかをほぼ私の感想文として書きつつ、少しアメリカの大学のシステムについても説明したいと思います。

 

全校生徒37,000人のマンモス校、メリーランド大学カレッジパーク

37000人とは言いつつ、実際どれくらいな規模なのかは書いている本人も正直わかりません。

とりあえずデカイ。

最初の「ふう。」は規模の大きさに慣れる工程に自分を意図的に入れていることについてのものなのかなと。

アメリカ 大学 校舎

人数の多さは正直思ってたほど気にしていない自分がいます。

全校生徒は多いけど、みんな取ってる講義とかは全然違うので、よほど大きな一大イベントがない限りキャンパスが人で埋め尽くされることはありません。

しかし、朝の交通はかなり重い!

キャンパスの入り口から行きたい建物まで車だと20分かかりました、日中は1分で行けるところを…。

それにも繋がることだけれど、大学の規模が大きく思ったより大変だなと感じたのが実際のキャンパスの広さ。

州立大学の宿命かしら。

建物から建物までがとおぉーい。

テクテクテクテク…….

テクテクテクテク……スタタタタタタタ…….あ、間に合わない…….5分遅れてもセーフだよね…..。

ということが新学期始まって早々起きてしまいました。

でも、キャンパスの広さも徐々に慣れるのですごくストレスな訳ではありません。

何事も慣れですね。

…..と言いたいところだが…。

 

広いキャンパスに多岐にわたる講義

広く、広く、とにかく広く……….

と、同じ広いでも今回は勉強の分野について。

どの学部で何を学んでも全ては関係し合っているため、私はどれもある一定は理解してこなさなければいけない、と思う傾向にありました。

今学期もそう。

私は専攻を「制作芸術」に決めていてもなお5つ中2つのアートの単位以外は、エンジニアリング、テクノロジーとジャーナリズム、それから経済学の単位を選んでいました。

どの単位を取るかは2ヶ月前に決めていたため、当時私が捨て切れなかった「理系科目」を含めずにはいられなかったのです。

アメリカ 大学 校舎

アメリカ 大学 校舎

アメリカ 大学 校舎

そして新しい学期が始まりました。

学部が異なる講義ばかり取っていたため、もちろん全て建物が違います。

そしてここで問題になるひろーいキャンパス。

ジャーナリズムの講義が終わってから15分の間に次の経済学の講義に辿り着かなければなりません。

建物同士が1キロほど離れているためダッシュ。ぴったしには着きたくないので。

結果間に合いましたが、心の余裕はあまりないです。

そして、経済学の講義の後に待っていたのがエンジニアリングの講義。

この講義も無事終わりましたが、その日の終わりには体力的にはもちろん疲れていたのですが、心もなぜかもやもやもや….。

その日はもやもやの正体が分からなかったけれど、次の日には正体を暴くことができました。

取り敢えず、「ふう。」

アメリカ 大学 校舎

アメリカ 大学 校舎

アメリカ 大学 校舎

アメリカ 大学 校舎

 

勉強面の妥協点を知る

「学校」というのと、「新しい環境」が特に嫌いでもないわたし。

しかし新しい大学での生活を好きになれない、というよりか日に日に嫌いになっていく感覚がしていました。

通学かな?キャンパスかな?それともなにがこんなにもストレスなのだろうか?と考えるが、なかなかピンとこない。

そうしたらふと、「講義を変えてみよう」という思いつきが舞い降りたので、2つのアートと、とても気に入ったジャーナリズムの講義は残して、後の経済学とエンジニアリングの講義をアートセオリーとアメリカに残る白人優越主義についての講義を取りました。

 

とここでアメリカの大学の仕組みについてちょっと豆知識を。

私が単位を変えたのは「アド&ドロップ(add & drop: 単位を加えたり落としたりすること)」が許されているからです。

学期始めの2週間(学校によって違うかもしれないのでご注意を〜)は、成績に影響することなく好き勝手に取りたいクラスを選べます。

完璧なスケジュールだと思っていても実際キャンパスに行って受けてみて、授業の内容や教授を見て感じないと分からないのです。

そして、この2週間が終わってしまうと次は「ウィズドロー」が待っています。

中間試験のすぐ後くらい。

「あ、やべ。このままじゃ単位落としてしまう。」と思った人が「ウィズドロー」します。

仮にこの人を斎藤さんとしましょう。

斎藤さんは中間試験の結果や、それまでの成績を見て救いようがないと悟りました。

「F(フェール、つまり単位を落としちゃった。)」が最終的についてしまえば、それを含めて成績が計算されるので、全体のGPAにも影響してしまいます。

ところがどっこい、斎藤さんはあの「ウィズドロー」という必殺技を使ったので成績書には「W」が付きましたが、全体の成績を下げることを阻止することができたのです。

※ここで気をつけて欲しいのが「W」の場合単位はもらえません。全体の成績に影響しないよ、ということです。なので無理と思ったら早めにドロップしておいたほうがいいですよ。

と、いうのが「アドドロップ」と「ウィズドロー」の簡単な説明でしたとさ。

 

ここからは斎藤さんから大西さん(わたし)のお話を。

クラスを2つ変えたところでしたっけ。

経済学とエンジニアリングをドロップしたんです。そしてアートセオリーとアメリカの人種問題についてのクラスをアドしました。

そうしたら面白いことに、変えた瞬間に気持ちがとてもすっきりしました。

そして、その瞬間に学校に行くことも楽しみになっていました。

これでアート系の講義が3つでとってもワクワク。

この時、「ああ、学ぶ分野が違っていたことで頭の中がマルチタスク状態になっていたんだな」と腑に落ちた。

分野が四方八方に広がりすぎて、1日を終える頃には頭の中が「ふう。」となっていたのか。

アメリカ 大学 校舎

アメリカ 大学 校舎

アメリカ 大学 校舎

しかも今の私は「アート」という一番没頭したいものがあるのに他の講義にもっと時間と努力を費やしていて、自分で自分のやりたいことをできないようにしていた。

「全部できるように」

じゃなくて、

「少ないものを極める」

現在の私はこうする時なんだと心と体で感じた瞬間でした。

狭く集中することは決して何かを失っているのではなく、(今現時点で)むしろ私を成長させるものだと人生で初めてと言ってもいいくらい知りました。

 

終わりに

高校がどちらかというとリベラルアーツ寄り、そして大学生活の前半2年間は一般教養科目を多く取らなければいけないことから、「絞る」ということがあまり頭になかった私。

今回メリーランド大学という決して楽に単位を取れない大学に通い始めて、初めて「必要なものを犠牲にしない限界」を知ったのと、それを認めることをできる自分がいる、という収穫を得ることができました。

アメリカ 大学 校舎

このように発見することができたのは、全ては自分のためにやっていることだとわかったからだと思います。

今まで何かと頭の中で空想理論劇を繰り広げていた私にとって、この考えが身についたのはとってもうれしいこと!

さあ次は何が待っているのかなあ。

ノエル

【弾丸ひとり旅前半】やっぱり行きたくなって行ってしまったワシントンDCからニューヨーク旅

日本からアメリカに上陸して2日目、新学期まで1週間

こんにちは、昨日バスに財布を忘れクレジットカードとデビットカード、定期券、そして学生証をごっそり紛失したノエルです。

このストーリーについても後にブログに書こうと思っていますので、おた….のしみ……………..に…..?

この間の本当は計画を立てるのが嫌いな私・予定に脅迫されていると感じる理由のブログでちらっと言ったように、つい先日1人でニューヨークに行ってきました。

 

日本からアメリカに戻ってきた時なんてそんな予定は無かったけれど、持ち前の「思い立った時の行動力」で、次の瞬間には行きと帰りのバスを予約していました。

思い立った時に行動しないと、(行くことに対してのメリット・デメリットを)いつまでも考え込んでしまって、(放置してると頭の中が多動になるんです)結局何もやらないで悔しい思いをするので…

つまりこれは直感行動なのですが、それにもマイナスな面はあります。

ですが、練りに練って……、と思い立ったらすぐ行動……、を比較した時の全体的なメリットを考えると後者に軍配が上がるのです。

 

まあ、今回のニューヨークの件はふと思った時いつも「行きたいなあ」と思っていたので即決、というのもありましたね。

 

電車でも行けるけどあえてバスでニューヨークへ

現在、ワシントンDCの郊外に住んでおります(ほとんどワシントンDCみたいなもの)。

どちらも東海岸の主要都市なのでDC・ニューヨーク間はいつでも電車やバスが運行しているのですが、電車だと片道2時間半(片道$90〜$300)くらい、バスは4時間〜4時間半ほどかかります。

しかし、ご察しの通り”Time is money……..!”

 

(おっとここで経済学の講義が始まったようです。なぜか筆者は教壇に立っています。)

時間が “かかる” ほど、お金は “かからない”、ここまではわかりますよね?

つまり、この場合時間がより “かかる” バスの方がお金は “かかりません”。

ですがねみなさん、DC-NYC間のバス業者は電車と比べた時の余分な「1時間半」の料金設定を少し間違えた?ようです。

往復バスを調べると….なんと「$2」と記載されている。

ここで同じページを再読み込みする。

またしても「$2」。

どうやら本当にDCからニューヨークまで片道1ドルで行けるらしい。

安いものは好きだが、安すぎる時は異常なほどまでに疑う私。

さらにいろいろ調べてみたがやっぱり公式の値段らしい。

しかし、バスチケットをオンラインで購入しようと思ったその時、

 

…………行きたい日の券はもう売り切れていた………..。

ですよ…ねぇ。

 

それでもやはりバスは安かった。

出発2日前の予約だったのにも関わらず、往復券を$32で購入することができた。

「$2」を見てしまったから高く感じたが、名古屋ー東京間を3000円ほどで往復できると考えると安い。

 

というわけで、めでたくニューヨークまで行く交通が確保されました。

 

DCからニューヨークまでのバス旅

こりゃまた楽しかったです。

朝早くに最寄りのDCメトロ(カレッジパーク・メリーランド大学駅)で電車に乗り、DC都市部まで。

ワシントンDC メトロ

黒スニーカー コーデ

ワシントンDC メトロ

ワシントンDC メトロ

ワシントンDC メトロ

ワシントンDC 地下鉄

 

そして歩いて高速バス停まで。

バス会社の人に名前を告げてそのまま乗車。

バスの乗客は私を含めた7人くらい。

好きな場所に座りたい放題です。私はもちろん最後尾。

席がちょっと高めなので見晴らしが良く好きなんです。

 

ニューヨーク 高速バス

ニューヨーク 高速バス

ニューヨーク 高速バス

ニューヨーク 高速バス

そして何より後ろが好きなのは、後車輪の真上なのでちょっとした凹凸でもトランポリンみたいに跳ね上がることができてすごく楽しいんですこれが!

ニューヨーク 一人旅

そうしてぴょんぴょんしながら写真を撮って、空想にふけっているともうニューヨークに着いちゃっていました。

 

ニューヨーク到着、さてどうしよう

ニューヨーク 一人旅

午前11時にニューヨークに到着したものの、計画なしで来たので次の目的地を考えました。

ニューヨークへは前に来たことがあるのですが、相当昔だったので実質初めてです。なので、まずただふらふら歩いて土地勘を掴むとこから始めました。

「なるほど、北はこっちでこっちが南ね。こっち行けばあれがあるのね。」

と、大体掴めてきたところで「General Central Plaza Station」近くのサラダ専門店でひとまず休憩。

ネットで行きたいところをここで検索。

落ち着いていて芸術的なところ、且つ古着がありそうなところに行きたかったので迷わず「Soho」に行くことを即決。

ニューヨーク 地下鉄

ニューヨーク 地下鉄

ニューヨーク 地下鉄

 

地下鉄で行くのですが、たまたま私が乗った車両のエアコンが止まっていて、サウナ状態の中ソーホーまで。

 

Screen Shot 2017-08-28 at 4.58.39 PM

 

改札を出て、地上にでた瞬間「あ、好きだわ。」と心の中でつぶやく。

カラフルで年季の入っているアパートが連なっており、その一階一階にはブティック、古着屋、そして小さなギャラリーたち。

 

ニューヨーク 靴屋ニューヨーク 一人旅

ニューヨーク 一人旅

ニューヨーク 古着屋

ニューヨーク 一人旅

ニューヨーク 一人旅

ニューヨーク 一人旅

ニューヨーク 一人旅

 

くぅ、やられた。

どうしてあなたは私の好みをここまで分かっているの、と街一帯に問いかけたい。

 

そのあとは歩き回って、いろんなお店にお邪魔しながら店主とお話をしたりしているとあっという間に時間が過ぎて行きました。

途中、あまりにも撮りたくなったホームレスの人を見かけたので、一度通り過ぎるもUターンして撮ってもいいかと交渉。

「$20」と言われたので「むりむり〜そんな高かったら撮らないよ〜ばいばーい。」

って言ったら$2に値下げしてくれたので即交渉成立。

ありがとう、おじさん。

これがその時撮った写真です。

ニューヨーク ホームレス

 

そのあと再び歩き始めると、とても好みそうなブランドを見つけたのでお店の中に入ってみると、セールのTシャツを気に入ったので購入しました。

ニューヨーク ブティック

ニューヨーク ブティック

ニューヨーク ブティック

ニューヨーク 一人旅

そのお店のマネージャーとも仲良くなり、アート系の仕事やインターンの情報を送ってくれる、と、なんとも嬉しいではありませんか。

 

私が一人旅を好むのは、現地の人とより繋がることができること。

誰かと一緒に旅行しているとやっぱりそちらに集中してしまう。

世界中にネットワークを広げる感覚がある、これだから一人旅はやめられない。

 

ニューヨーク弾丸旅前半終了

区切りがやや中途半端な気もしますが、まだまだ先にある書きたいことを考えてここでひとまず前半終了。

バスの中がとっても快適だったこと、ニューヨークの地下鉄は思ってたほど汚くなかったこと、そしてSohoが最高だったこと、どれもとてもいい思い出になりました。

数時間の間にもいろんな人に出会えたし、順調にスタートを切ることができました。

北海道旅記(参考:【北海道1日目 支笏湖・白い恋人パーク・キロロリゾート】カメラ好きにはたまらない北海道の魅力満喫旅)みたく、シリーズ形式になっているので次回もお楽しみにしていてください。

 

 

ノエル

本当は計画を立てるのが嫌いな私・予定に脅迫されていると感じる理由

こんにちは、ニューヨーク弾丸ひとり旅、行きのバスに揺られているノエルです。(その後空想にふけってしまったためニューヨークから帰宅したあとに書いています。)

 

ワシントンDCからは大体4時間ほどで着くそうなので、現時点からあと2時間半くらいですかね。

 

先に北海道旅行の最終回(【北海道1日目 支笏湖・白い恋人パーク・キロロリゾート】カメラ好きにはたまらない北海道の魅力満喫旅 /【北海道2日目 小樽・中富良野】カメラ好きにはたまらない北海道の魅力満喫旅 / 【北海道3日目 青い池・ファーム富田・ニングルテラス】カメラ好きにはたまらない北海道の魅力満喫旅)を書こうと思っていたのですが、なんだか頭に浮かんだことをつらつらと述べたい気分だったので思ったことを少し…….

 

と、気づけば今回のテーマにはちょうど良い書き出しになっているではないですか。

そう、つまり「予定を立てるのが嫌い」なことについて掘り下げたいと思います。

 

“成功するものは計画上手”

いわゆる、「常識」というものなのでしょうか?

思い返せば、小学校の時から夏休みや冬休みの計画を書いてわざわざ先生に提出したり、中学では定期テスト勉強の計画表を書いていちいち担任の許可をもらっていたり…

計画することに対して疑問を持たないように私は学んできたし、その概念とともに生きていたんだなあ、と。

それに拍車をかけるように、インターネットでも本屋さんでもよく「計画術」てきなものを見るもので、私も成功するにはスケジュール帳買って、事細かに何時から何時まで何処何処で何々をするというのを書かなきゃいけないのかなあってより強く思うようになっていました。

 

スケジュール帳を手にして、最初に予定を書き込むたびに「これで私の生活はより良くなる」と確信した……..

はずが、人生は何が起こるかわからないことばかり。

毎回毎回計画を立てては、いつもそれどうりにはやらない。

そして、計画通りにできない人間=できないやつ、の方程式を作ってしまって、もやもやする。

 

あぁ、いっそのこと計画しなくても幸せになれればいいのに…

 

予定の脅迫

こちらの方が今記事の本題。

私は「予定がある状態」に一種の不安感に襲われます。

たとえ、友達とのランチでも。

内容がどうとかの問題ではなく、予定が埋まっているのはつまりその時間に他にしたいことがあっても出来なくなってしまう、という考えが無意識に生まれるんです。たぶん。

うーん、なんなのかはっきり分かりません、正直。

 

常に(復唱:常に、)時間軸と時間地図が頭の中に浮かんでいる状態で、その時間的空間がまっさらでないと違和感を感じる、とでも言った方が一番ぴったりするのかもしれない。

その時その時にやりたいことをやるのが幸せなので。

 

あ、でもちょっと待ってください。

「生活(銀行行ったりバイトしたり…)や学校といったやらなければならないことをしたくない時はどうするのか?」

心の中で密かに質問してくれたあなた、お答えしましょう。

そういった「やらなきゃいかんこと」はルーティーン化しているので、時間空間には存在しないのです。

というより、「何曜日の何時に何をやる」というのが苦手なんです。

だから、「何かをやる」だけで「いつ」はあまり意識しないで生活しています。

時間が余っている時にやっちゃおう、といった感覚ですね。

 

なんだかんだ0か100かになってる

世の中はグレーゾーンばかり。

世の中の物事(政治とか金融とか何でも)を考える時は”0か100ではなく、いつもその間で動いている”というのを理解していると自負しておりますが、自分のことになると全く違いますね。

例えば、バイトでも程よくシフトを入れて勉学との両立を測る、ということが精神的になかなか出来ないです。

やるなら超詰め込む。

ちょっとくらいなら一切やりたくない。

 

今は、いかにその性格や習慣を変えようとするかより、自分はそういう人間だからそれに合わせた生活スタイルを心がけています。

0か100だからいけない、じゃなくてそれでできることを目一杯やろう。

だって、100の時の勢いといったらマッハGoGoGoにも負けません。

最近になって自分が持ってるものに合わせる、そういった感覚がだんだん掴めてきている気がします。

 

最後に

とっさの思いつきで書いた今回のブログ。

予定や計画に対しての違和感は「恐怖感」だというのは最近になって気づきました。

恐怖感でも、決して悪者扱いしないでこれからは仲良く共生していきたいですね。

 

思いを文字に書き直すとさらに思考を深めたり広げたりするので、これからも「思いつき」をどんどん拾って私なりの考察を述べたいと思います。

 

 

ノエル

ハタチ・20歳・はたち

20歳になって何が変わったって?

それは後になって振り返ってわかること。

お酒は飲める年齢だけど呑まないし。

タバコなんて論外。

親の承諾がいる手続きも18歳からが多いし、20歳って手にとって確かめられるものではない。

なんで20歳?

「はたち」って、特別な読み方があるくらいだから何かすごいことでも起きるんじゃないかって思いがちだけれど、実際なにも劇的な変化は起きないよね。

でもね、しっかりとその響きを毎日噛みしめている自分がいる。

「はたち。」

ああ、このことなのかな、20歳って。

何かは勝手に起きないけど、この区切りのおかげで何かやってやろうというきっかけができる。

決して無理やり何かやらなければいけないわけでもない。

だけど、正体不明の何かに背中を押される感覚、20歳になって強さを帯びてきた。

「ハタチ」

なんだか意味の無いただの音に聞こえる時もある。

社会が胡乱なものにしか考えられない時、将来が曇って見える。

大学3年目。

周りは未来の自分に向かって専門を決める。

社会に承認されるべく、多くの人に認められそうなことを学ぼうとする私が長らくいた・・

社会に認められることって、「何をするか」ではなく「(何であっても)どのくらい極めるか」ということだって幸運な私は20歳を過ぎたオトナの先輩たちに教えてもらった。

社会に認められようとしている点で、「それはダメなんじゃないか。」という声も我が身の内から聞こえ無いわけでも無い。

ただ、別に認められようとしていることは否定しなくてもいいんじゃないか、と気づいた。

これも20歳になってからかな。

 

自分を許してあげられる余裕が出てきたことが、私にとっての「成人式」。

苦しんだり、悩んだり、悲しんだり、怒ったりしてもいいんだ。

 

それが私のはたち。

 

みんなの20歳は何だろう?

 

 

 

 

—ノエル

日本の教育は間違ってる…?日本教育とアメリカ教育を経験した現役大学生が考える留学をするメリット

以前からよく考えていたことなのですが、最近はっきりと言葉に表せられるところまで到達したので私なりの言葉でこのテーマについて触れてみようかと思います。


私は何事もどちらが「良い」「悪い」、と二極化して考えるのは思考する過程においての「ガン細胞」的存在だと認識しています。


一つ、または二つ三つだけ理由を見つけて「だからこれはこうなんだ!」と結論を出す癖がついてしまっては、考えることからますます遠ざかります。


すぐに結論を出してしまえば、そりゃ楽ですよ。


考えなくて良いんだから。


「自分は」何が良くて悪いのかの結論を導く前に、考えるのは努力が必要だし忍耐も必要だし辛いからといって思考の工程を飛ばしてしまう。


「結論」といって本当は頭にポンと浮かんだことを考えた産物として提示する。


私がこのような単発な結論を意見として堂々と述べるのを多く見かけるのは、海外と日本を比べる時。


そんな時、気づいたのが(※日本人の中での話)親日と反日の境目がはっきりしていたこと。


わかりやすく言うと、


「やっぱり日本が良い!」「ずっと日本にいたい」


「日本嫌い!」「日本になんか住めない!外国が良い」


の壁が意外に厚いものだったということ。


そのように考える中、現在大学生として教育を受けているため特に気になったのが日本人留学生に多い、


「アンチ日本教育」


な考え方。


今回はそれについての私の考察を述べたいと思います。


新しい視点を少しでも提供できたら私の目標達成です。





日本の教育は間違っている


留学する理由がたくさんある中でも割と多数派なのでは、と個人的に思っているのが、


「日本の教育が悪いから外国の良い教育を受けたい」


といった、アンチ日本教育な考え方です。


私もこう考えていた時がありました。


では現在はどうなのかというと、合っているけど間違ってもいる、と考えています。


ここでは、日本とアメリカの教育を比較するとしましょう。


日本の教育の方が良い/悪い、アメリカの教育の方が良い/悪い


と、きっぱり二択になってしまっていることに違和感を感じたのです。


このような答えにたどり着いたのは、もちろん経験あってのことです。


渡米前は日本の教育方針、つまり、





● 詰め込み・暗記集中型
● 厳しい先生
● 重い試験が多い
● 塾に通っていないと周りに遅れやすい
● 何のために存在してるのかが分からないような校則に従う

● 高校時に理系・文系を決める

● 一年に一度しかない大学受験





と、日本にいた時はステレオタイプチックな事ばかりですが、上記に示した通りの事に嫌気が指していました。


アメリカに行ったら本当に楽しく勉強が出来ると信じていました。





渡米したからこその発見


しかしですね、意外にそんなことも無かったんです。


大学前に暗記をしておいた分、頭の中で情報を処理する時間を設けられたので、いざ大学で飛躍した概念を扱う時に簡単に情報を引き出したり繋げられるようになっていました。


日本だと定期試験が高校でも重かったので、早め早めに準備をしておく癖がついていました。





一方、アメリカの大学生を観察してみると、たくさんの生徒が初歩中の初歩レベルの数学につまづいたり、本当に少ない情報量を暗記するのに苦労していたり、ただ単に勉強に集中する能力に欠けている事に気がつきました。


知識がまだ身についていないからそれ以上話を飛躍させられないことも例外ではありませんでした。


しかしながら、アメリカの教育でも良いところはたくさんあります。


● 高得点を取らなければ価値がないと思う人が少ない分プレッシャーをあまり感じないから伸び伸びと勉強が出来る。
● メジャーをいつでも変えられる・変えやすい
● 誰でも理系・文系多岐にわたって勉強できる
● 教授はいつでも親身になって相談に乗ってくれる
● 失敗を許してくれる文化、最初からできなくても良い
など、たくさんあります。


日本教育もアメリカ教育も良いところがたくさんあるじゃないか!


日本教育とアメリカ教育の「良い所取り」をすれば良いじゃないか

ここではたと気づいた。


どっちが良い・悪いと考えるんじゃなくて、どっちもの教育のいいとこ取りをすればいいのか。


完璧な教育は存在しない。けれどベストな形にはいくらでもできる。


留学ってそれができるとてもいい機会だと思うんです。


しかしここでアンチ日本教育になりすぎてしまうと、せっかくの日本の良いところが生かされなくなってしまう。


0か100か、また白か黒みたいに極端になるのではなく、どちらの局面も含めたグレーゾーンを探してみる。


留学の素晴らしさは、経験を広げることができるぶんその中から良い所をたくさん抽出できるのです、意識していればの話ですけど。





まとめ

今回の投稿は、

「留学したいけど何のためにするんだろう?」
「日本の教育ってほんとダメ」


と考えている人たちのために向けたメッセージです。


私自身が日本とアメリカの両方の学校に行ったからこそ導き出した答えは、どちらかにきっちにカテゴリー化するのではなく、全体を見渡して何が「本質的に」良いのか悪いのかを判断してください。


留学を、ただ英語を上達させるための手段としてだけ考えるのも良いですが、もっと視点を変えればさらに有益な産物になりますよ!